止まった世界を超えていく

止まった世界を超えていく

来る日も来る日も物件が見つからず、時にぼんやりと眺めた空。事務所の机から眺める空はネットに流れる物件情報と同じくあまり変化もなく、時間が止まっているような怖ささえ感じさせた。自分だけが遥か遠くに放り出されているかのように思ったりもしたけど、未来を描くことを忘れないよう自分に言い聞かせた。頭の中で描き続ける未来とわずかに動く雲が、時が流れていることを明確に知らせてくれた。結局のところ自分が選んだ道なんだしと思うと、次の瞬間には「あー、綺麗な空だ。自由だなぁ。」なんてもう切り替わってる、僕はそんな人間。空がどう見えるかは内的な問題。外的な問題に振り回される人間には、いつだって世界は醜いもの。物件も決まらず、特にすることがないなんて日も、Abbey Roadをどんな場所にしていくかを常に考えていた。障がいとは機能障がいに目が行きがちだけど、実は社会的障壁が圧倒的に多いと感じている。あろうことか、支援者と呼ばれる人がその社会的障壁を作り出しているケースまである。利用者さんの抱え込みやビジネスモデルに振り切った運営などなど、それがあたかも正義なんだと平気な顔をして障壁を作り出している人もいる。課題に追われるうちに未来を描けなくなったら本末転倒。そんな世界の中で自分が何をすべきか、それを考え続けた。嘆いたり、愚痴を言ったところで何かが変わる訳じゃない。自分が変化の主体にならなきゃ意味がない。小石だって、小さな波紋を作ることは出来る。50歳からの企業。三国志の教えは僕を勇気づける。全国を統一しようと躍起になって戦い続けた魏呉蜀。諸葛孔明はその思考を根本から否定した。自国の幸せを優先し、三国それぞれが幸せになる道を示した。ピーキーに見える思考は、時に周囲が全く変化のない日常から見ているから、凝り固まった世界観で生きてるから、そう感じる時がほとんどなんだ。Abbey Roadが開所し、もう少しで2ヶ月。僕は今日もAbbey Roadがどうあるべきか、その思考に沈んでいく。深く深く。眠ることさえ惜しい。スタートするのに遅いなんてことはない。頭をフル回転させることで、時間的な不利なんていくらでも埋められる。止まっている世界を追い抜くなんて、そんな難しいことじゃない。人と比較するから見失う。人に責任を転嫁するから動けなくなる。自分自身が一歩前に足を出す。それだけ。自分自身が前に出す一歩は、確かな前進。その小さな一歩が一年後、五年後、十年後にどんな世界を創り出せているか。僕は楽しみにしている。

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